らもさんの嵐語り


20201231日を迎えて思うこと。

5人との出会いや、今まで思ってきたこと、振り返りたいことなどを支離滅裂ながらに書き込んでみることにしました。(とっても長くなりました)


お暇な時に読んでくだされば幸いです。



・このアカウントについて

この「らも」という名前でTwitterを始めて実に6(そんなに経っていたのかとびっくり)

でもわたしをフォローしてくれている人はこのアカウントができる前から仲良くしてくれている人ばかりで、きっと「真希雅紀」というイタい(字面は尊い)名前で活動していたわたしを知っている人がほとんどでしょう(笑)

若さに興じて、様々なことを経験し、そして疲労し、結局は顔も年齢もあまり明かすことなく鍵をつけてひっそりと過ごすことが自分に合っていたと気がつかせてくれたのが、この「らも」というアカウントです。

(実は「らも」は本名に入っている音の組み合わせです)



・わたしが嵐を好きになったきっかけについて

そんなアカウントで好きなだけ、嵐のこと、相葉雅紀のこと、泣き虫のことを語り尽くし、萌えに発狂し、最近ではアニメやら声優やらYouTube配信やらにも手を出し日々うるさく楽しく過ごしてきました。


でも、常にわたしの中心にあるヲタクの熱情たる対象は嵐しかありませんでした。今でもそうです。

なぜ、こんなにも愛を、熱を捧げられるのか。

それは、わたしに生きる夢を与えてくれたのがあの5人だったからです。

生きる夢と言うと少し重めに聞こえるかもしれませんが、具体的に言えば、「人生における目標や夢を持たせてくれた」のが嵐だったのです。


2008年のことです。TBS系列で「ひみつの嵐ちゃん」の放送がスタートした時でした。

当時は、茶の間として、ごく普通にジャニーズで活動するアイドルグループの嵐と認識してテレビを見ていました。(多分メンバー5人の名前もしっかり覚えてないくらいの茶の間でした。)

覚えている人がどれくらいいらっしゃるのかわからないですが、当番組放送中に同時通訳の方を紹介するコーナーをやっていました。(花男Finalの潤ちゃんのセリフを同時通訳していた回です。覚えているかな、、)

その時のわたしは至って平凡。人よりできることは惰性で続けてきた英語だけ。でもその英語も本気でやっているつもりはなく、いつかはやめるのかな、と思っていました。

明確な将来の夢もなく、ただただ平凡に、生きていました。

でもその放送を見て、英語がこんなに活躍する場所があるのだと知り、「自分にもできることがあるのかもしれない」、「英語をもっと勉強して通訳になりたい」と1つの人生の目標を持つことができました。

そこからはひたすらに勉強、勉強、勉強(笑)。

気がつけば今を含めて12年間英語から離れず、飽きることなく続けてきていました。(嵐からも離れず、飽きることなくでしたが)


そしてこのことをきっかけに嵐に興味を持ち始め、

(今は険悪な仲の)いとこに誘われてFCに入りました。

番号はかなり遅めでしたが、今となってはもはや自分名義の番号を手放すことの方が惜しいくらいの番号となってしまいました(笑)


FCに入ってからは今までに発売されてきたCD、アルバム、DVDをかき集め、朝起きてから眠りにつくまで、眠りに入ってからもなお嵐の曲をひたすら聞きまくる日々がずーっと続きました。(でもファンになるってことはそういうことだと思います)

特に思い返すのは、家庭環境が悪くなった時、夜を過ごすのが辛くなった時、眠れなかった時、緑色のiPodに入れていた(当時)300曲以上の嵐の曲に救われてきました。

現実から逃げたい時、いつも5人の歌声や歌詞、楽曲のメロディーに何度も何度も救われて、頑張ろうと思わせてくれて、わたしがここまで真っ当に生きてこられたのは本当に嵐のおかげです。


そして気がつけば、約10年。

FCの更新は切らすことなくファンを続けてきました。

周りがどんなに担降りしてもG変しても、ずっとずっと

嵐に対する愛情は落ちることなく、ここまで来ました。

嵐が人気になり、FC会員数も爆発的に増加していく中、チケット競争率もあがり、日本一入るのが難しいと言われるほど人気になった5人のコンサートに毎年入るのがもはや自分の中での恒例行事になっていきました(笑)

毎年コンサートやイベントの案内が来た瞬間に考える会場と日程、名義配分。

それすらも愛おしく楽しい時間でした。

地方に住んでいるフォロワーさんと会うために遠征して、毎回楽しい思い出をつくらせてもらって。ほぼ観光をしたことがない地域もあったりして(笑)

そういう一つ一つの現場がかけがえのないもので。


毎回毎回会いに行けば、ステージ上で汗にまみれながら踊って歌うキラキラした姿が、MC中に垣間見える嵐らしさが、目に焼き付いて、「出会えてよかった」「嵐のファンになれてよかった」と思わせてくれて。

ファンはいつも嵐のことを考えているけれど、嵐も同じくらいファンのことを考えて、ファンのためにできることに最善を尽くしてくれているのが痛いほど伝わって。

人気になっても奢らず、「嵐らしく」「5人らしく」を貫く姿勢がいつまでもかっこよくて。(しかもそれがファンに向けて強制的に表していたものではなく、自ら望んでいたものだったと分かるのが余計に好きなところ)

そんな5人だから大好きでファンをここまで続けてこられたんだなと思います。


2019127日〜現在まで

ずっとずっと、この幸せが続くと思っていたのが、一昨年の127日まで。

あの日は、仕事も休みでメールが来て、字面だけでとても嫌な予感がしました。

ただの無機質な文字の羅列なのに、嫌な予感は感じ取れるのはジャニヲタならではなのかもしれません。

そして、動画ページに進み、視聴し、涙が止まりませんでした。

「どうして」「なんで」

そんな言葉しか出てきませんでした。

しかも、一旦活動を休止したい、と思うメンバーがいたことが何より受け止められなかった。

一方的にファンから見れば、不満なんて何1つなく嵐でいられることに幸せを感じているんだと思い込んでいたことを知らされました。


数日後、あまりのショックに食欲が失せ、免疫が下がり、当時流行していたインフルエンザに罹り(笑)

当時の職場の方や友人からはとても心配をかけてしまいました(笑)(一般的に見れば、嵐が活動休止したと言ったくらいで体調崩してインフルエンザに罹るって相当だなと思われていたと思います)

気がつけば体重が13キロも落ちてしまい、今も落ちたまま戻っていません。(まあ以前が太り過ぎていただけなので標準に戻ったんだなとも思いますが)


そして、ここで初めて5人を見るのも、声を聞くのも、音楽に触れるのも、辛くなってしまって。

嵐を完全に拒絶する日が約2ヶ月ほど続きました。

こんなに嵐から離れるのは初めてでした。

(ある意味、声優にハマり出したのはここの期間がスタートでもありました)

3月頃、5×20の当落発表がありました。

正直、あの発表の翌日から5×20の申し込みが始まって、あれだけ楽しかった名義配分も全く楽しくなく、処刑台に自ら向かって行くような気持ちで応募したのを覚えています。

でも、各地の公演が当選してくれて、会いに行けるチャンスが何度もできた時に、ようやく向き合う心の準備ができ始めました。


わたしのファンとしてのスタンスは、我が儘にならないこと。

「〇〇やって!」

「〇〇して欲しいのにやってくれなくてムカつく」

そういう自己満足をぶつける人たちと出会ったことがあり、その価値観には賛同できませんでした。

だから、

5人で決めたことは頑張って応援したい」

5人が幸せであってほしい」

と、自分自身の我が儘より、5人の幸せを優先することが何よりだと思っていました。

だけど、全てが全て賛成できるわけじゃないんだと気がつき、自分が受け入れられることと受け入れられないことのバランスを考えるようになりました。

「嵐が決めたことだから」活動休止を受け入れるのではなく、「嵐が嵐らしくいるために、幸せでいるために」活動休止を決断した、ということであれば受け入れられるかもしれないと思うようになりました。

反対に、嵐が「20201231日」まで全力で走り切る、その先は決まっていない、という姿勢は今でも受け入れられることができません。

きっとそれは戻ってくる確約が見えない不安から来ているんだと思います。戻ってくると言う絶対的な保証があって宣言する活動休止だったら、もう少し早く受け入れられたのではないかなと思います。

(余談ですが、この感じは今のコロナ禍にも似ていますよね。先の見えない答えのない未来に不安を感じるのはきっと人間の摂理なんだと思います。)


そんな不安を抱えながら迎えた5×20の公演。

あんな残酷な宣言をした5人とは思えないほど、いつも通りの「嵐」を見せてくれました。

そして、5×20の「過ぎゆく時の中で無駄なものはなかった」と言う歌詞を聞いた瞬間。

最後の挨拶に、「必ず戻ってきます」と言ってくれたあの瞬間。

ずっとモヤモヤしていて、今までとは違う気持ちで心の底から楽しめていなかった期間をなかったことにしてくれたような、そんな気持ちになりました。涙が止まりませんでした。

初めて本人たちの口から、「嵐としてまた再集結する、そのための活動休止」と言う言葉を聞くことができたときに、それがいつであっても、待ち続けられるなと思いました。

だから、周りが言う「ラストイヤー」とか「最後」という言葉に敏感にならずに、「5人でまた集まる」というその言葉だけを信じて今日まで乗り切ることができました。(でも、VS嵐と嵐にしやがれの最終回は見るのが本当に辛かった。「最後」という現実を突きつけられて、本当に活動休止しちゃうんだと実感させられて、レギュラー番組にあの5人を見るのがしばらくできないんだと思うと本当に本当に辛かったです。)


5×20で「再集結宣言」を聞いたその公演以降は、いつもと同じく心の底から楽しんで、泣き虫に発狂し(恒例)、涙して、と、いつも通りをようやく取り戻せました。

そして、やっぱり嫌いになんかなれない、ずっとずっと大好きだなと痛感しました。(これだからやめられない)


・わたしの考える嵐

わたしにとって「生きる目標」と「元気」をくれた5人。

わたしからすれば本当に言葉通りのidol(崇拝対象)でした。この言葉を使ってしまえば、重くなってしまうし、宗教的に聞こえてしまうかもしれないけれど、アイドルってそういうものなのかな、と自己解釈しています。

みんなにとっても、個人にとっても、元気をくれて心の拠り所となる存在。それがアイドルで、応援する側はそれを求めて応援する部分もあると思います。


「人間は目標があると生き甲斐ができる」みたいなよくあるポジティブ理論。

わたしもそう思います。何かやりたいことがあって、やりたいこと、なりたいものに向かってがむしゃらに頑張ることは人生における励みになると思っています。

個人的に、こんな風に目標を持つことについてポジティブに書いていても、このニュアンスをポジティブに伝えているつもりはなくて。

夢を持った方が楽しいとみんなが思うべきだ、みたいに伝えたいわけではありません。

ただ、わたしにとって、人生の励みになるような1つの道標を与えてくれたのは嵐でした。


たった一回のテレビ放送がきっかけで、夢ができて追いかけることになって。

もちろん、英語を勉強していく中で周りとの差に苦しんだり、海外生活を送っているときは仕事が辛くて辛くて、何のために英語を続けてきたのかわからなくなる時もありました。

でも、あの5人が見せてくれた道標を見つけなければ、こういう経験もできなかったんだな、と思うと、追いかけてきたことに後悔なんてしませんでした。

嵐がいなかったら、もっと平凡でつまらない人生に飽き飽きしてしまっていたと思うから。


きっと、あの5人が与えてきたものは、多くの人の小さなきっかけになって、希望になって、夢になっているんだろうなと思います。

おそらく多くのファンが同じように嵐から夢をもらい、希望をもらい、頑張る目標をもらってきたと思います。わたしもその1人に過ぎません。


そう考えると、5人がずっと愛される理由、アイドルとして支持される理由が少し見えてくると思います。

「世界中に嵐を巻き起こしたい」

Topになるって夢絶対叶えようね」

そう言った5人の意思の裏には、わたしが追い求めたものと同じものを感じます。

逆に言えば、わたしが彼らに同じものを感じたからこそ、共感してついて行きたいと思いました。

5人がひたむきに同じ目標に向かって走っていく、Beautiful DaysSTでも話していた「どんな道であれ目指す方向が同じならいい」、そんな姿勢に惹かれたからこそずっとここまでファンでいられているんだと思います。


どんどん人気が上がっていって、国立ライブを毎年やっていたり、最新技術を駆使したライブパフォーマンスを見せてくれたり、SNS解禁して世界に飛び出していったり。

ここ数年の嵐は今までの嵐とは違う姿で、少し遠くに行ってしまったなあ、と寂しい気持ちになることもあります。

でも掲げた目標は変わらず、ファンに対する態度も変わらず、ずっとずっと嵐でいてくれるあの5人だからこそ応援できたのだと思います。

嵐の5人は「このメンバーじゃなきゃここまで続けられなかった。」とよく言います。

わたしも、そう思っています。

5人があの5人じゃなきゃ、わたしも嵐ファンを続けられていないと思います。


そんな5人が掲げた目標はまだ達成されていません。

達成するために、また道を探し出すための時間が今回の活動休止なんだと思っています。

だから、全然「最後」なんかじゃない。

「まだ夢の道中」

「まだまだ世界は終わらない」

「まだ見ぬ世界」を見せてくれるための準備期間。

(これだけ様々な楽曲の歌詞に意思をちりばめてきたと感じるほど、嵐の曲には力がこもっていますよね)


そして、帰ってきて数年した後にこの期間を思い返して「あの時活動休止したからこれだけ素晴らしい思い出が作れる」と思いたいです。

そう思わせてくれるのが嵐だって信じてるよ。

なので、笑顔で「おかえり」と言えるように、待つのみです。

本当に今までありがとう。そしてこれからも。

ずっとずっと応援していきます。

らもさんの嵐語り


20201231日を迎えて思うこと。

5人との出会いや、今まで思ってきたこと、振り返りたいことなどを支離滅裂ながらに書き込んでみることにしました。(とっても長くなりました)


お暇な時に読んでくだされば幸いです。



・このアカウントについて

この「らも」という名前でTwitterを始めて実に6(そんなに経っていたのかとびっくり)

でもわたしをフォローしてくれている人はこのアカウントができる前から仲良くしてくれている人ばかりで、きっと「真希雅紀」というイタい(字面は尊い)名前で活動していたわたしを知っている人がほとんどでしょう(笑)

若さに興じて、様々なことを経験し、そして疲労し、結局は顔も年齢もあまり明かすことなく鍵をつけてひっそりと過ごすことが自分に合っていたと気がつかせてくれたのが、この「らも」というアカウントです。

(実は「らも」は本名に入っている音の組み合わせです)



・わたしが嵐を好きになったきっかけについて

そんなアカウントで好きなだけ、嵐のこと、相葉雅紀のこと、泣き虫のことを語り尽くし、萌えに発狂し、最近ではアニメやら声優やらYouTube配信やらにも手を出し日々うるさく楽しく過ごしてきました。


でも、常にわたしの中心にあるヲタクの熱情たる対象は嵐しかありませんでした。今でもそうです。

なぜ、こんなにも愛を、熱を捧げられるのか。

それは、わたしに生きる夢を与えてくれたのがあの5人だったからです。

生きる夢と言うと少し重めに聞こえるかもしれませんが、具体的に言えば、「人生における目標や夢を持たせてくれた」のが嵐だったのです。


2008年のことです。TBS系列で「ひみつの嵐ちゃん」の放送がスタートした時でした。

当時は、茶の間として、ごく普通にジャニーズで活動するアイドルグループの嵐と認識してテレビを見ていました。(多分メンバー5人の名前もしっかり覚えてないくらいの茶の間でした。)

覚えている人がどれくらいいらっしゃるのかわからないですが、当番組放送中に同時通訳の方を紹介するコーナーをやっていました。(花男Finalの潤ちゃんのセリフを同時通訳していた回です。覚えているかな、、)

その時のわたしは至って平凡。人よりできることは惰性で続けてきた英語だけ。でもその英語も本気でやっているつもりはなく、いつかはやめるのかな、と思っていました。

明確な将来の夢もなく、ただただ平凡に、生きていました。

でもその放送を見て、英語がこんなに活躍する場所があるのだと知り、「自分にもできることがあるのかもしれない」、「英語をもっと勉強して通訳になりたい」と1つの人生の目標を持つことができました。

そこからはひたすらに勉強、勉強、勉強(笑)。

気がつけば今を含めて12年間英語から離れず、飽きることなく続けてきていました。(嵐からも離れず、飽きることなくでしたが)


そしてこのことをきっかけに嵐に興味を持ち始め、

(今は険悪な仲の)いとこに誘われてFCに入りました。

番号はかなり遅めでしたが、今となってはもはや自分名義の番号を手放すことの方が惜しいくらいの番号となってしまいました(笑)


FCに入ってからは今までに発売されてきたCD、アルバム、DVDをかき集め、朝起きてから眠りにつくまで、眠りに入ってからもなお嵐の曲をひたすら聞きまくる日々がずーっと続きました。(でもファンになるってことはそういうことだと思います)

特に思い返すのは、家庭環境が悪くなった時、夜を過ごすのが辛くなった時、眠れなかった時、緑色のiPodに入れていた(当時)300曲以上の嵐の曲に救われてきました。

現実から逃げたい時、いつも5人の歌声や歌詞、楽曲のメロディーに何度も何度も救われて、頑張ろうと思わせてくれて、わたしがここまで真っ当に生きてこられたのは本当に嵐のおかげです。


そして気がつけば、約10年。

FCの更新は切らすことなくファンを続けてきました。

周りがどんなに担降りしてもG変しても、ずっとずっと

嵐に対する愛情は落ちることなく、ここまで来ました。

嵐が人気になり、FC会員数も爆発的に増加していく中、チケット競争率もあがり、日本一入るのが難しいと言われるほど人気になった5人のコンサートに毎年入るのがもはや自分の中での恒例行事になっていきました(笑)

毎年コンサートやイベントの案内が来た瞬間に考える会場と日程、名義配分。

それすらも愛おしく楽しい時間でした。

地方に住んでいるフォロワーさんと会うために遠征して、毎回楽しい思い出をつくらせてもらって。ほぼ観光をしたことがない地域もあったりして(笑)

そういう一つ一つの現場がかけがえのないもので。


毎回毎回会いに行けば、ステージ上で汗にまみれながら踊って歌うキラキラした姿が、MC中に垣間見える嵐らしさが、目に焼き付いて、「出会えてよかった」「嵐のファンになれてよかった」と思わせてくれて。

ファンはいつも嵐のことを考えているけれど、嵐も同じくらいファンのことを考えて、ファンのためにできることに最善を尽くしてくれているのが痛いほど伝わって。

人気になっても奢らず、「嵐らしく」「5人らしく」を貫く姿勢がいつまでもかっこよくて。(しかもそれがファンに向けて強制的に表していたものではなく、自ら望んでいたものだったと分かるのが余計に好きなところ)

そんな5人だから大好きでファンをここまで続けてこられたんだなと思います。


2019127日〜現在まで

ずっとずっと、この幸せが続くと思っていたのが、一昨年の127日まで。

あの日は、仕事も休みでメールが来て、字面だけでとても嫌な予感がしました。

ただの無機質な文字の羅列なのに、嫌な予感は感じ取れるのはジャニヲタならではなのかもしれません。

そして、動画ページに進み、視聴し、涙が止まりませんでした。

「どうして」「なんで」

そんな言葉しか出てきませんでした。

しかも、一旦活動を休止したい、と思うメンバーがいたことが何より受け止められなかった。

一方的にファンから見れば、不満なんて何1つなく嵐でいられることに幸せを感じているんだと思い込んでいたことを知らされました。


数日後、あまりのショックに食欲が失せ、免疫が下がり、当時流行していたインフルエンザに罹り(笑)

当時の職場の方や友人からはとても心配をかけてしまいました(笑)(一般的に見れば、嵐が活動休止したと言ったくらいで体調崩してインフルエンザに罹るって相当だなと思われていたと思います)

気がつけば体重が13キロも落ちてしまい、今も落ちたまま戻っていません。(まあ以前が太り過ぎていただけなので標準に戻ったんだなとも思いますが)


そして、ここで初めて5人を見るのも、声を聞くのも、音楽に触れるのも、辛くなってしまって。

嵐を完全に拒絶する日が約2ヶ月ほど続きました。

こんなに嵐から離れるのは初めてでした。

(ある意味、声優にハマり出したのはここの期間がスタートでもありました)

3月頃、5×20の当落発表がありました。

正直、あの発表の翌日から5×20の申し込みが始まって、あれだけ楽しかった名義配分も全く楽しくなく、処刑台に自ら向かって行くような気持ちで応募したのを覚えています。

でも、各地の公演が当選してくれて、会いに行けるチャンスが何度もできた時に、ようやく向き合う心の準備ができ始めました。


わたしのファンとしてのスタンスは、我が儘にならないこと。

「〇〇やって!」

「〇〇して欲しいのにやってくれなくてムカつく」

そういう自己満足をぶつける人たちと出会ったことがあり、その価値観には賛同できませんでした。

だから、

5人で決めたことは頑張って応援したい」

5人が幸せであってほしい」

と、自分自身の我が儘より、5人の幸せを優先することが何よりだと思っていました。

だけど、全てが全て賛成できるわけじゃないんだと気がつき、自分が受け入れられることと受け入れられないことのバランスを考えるようになりました。

「嵐が決めたことだから」活動休止を受け入れるのではなく、「嵐が嵐らしくいるために、幸せでいるために」活動休止を決断した、ということであれば受け入れられるかもしれないと思うようになりました。

反対に、嵐が「20201231日」まで全力で走り切る、その先は決まっていない、という姿勢は今でも受け入れられることができません。

きっとそれは戻ってくる確約が見えない不安から来ているんだと思います。戻ってくると言う絶対的な保証があって宣言する活動休止だったら、もう少し早く受け入れられたのではないかなと思います。

(余談ですが、この感じは今のコロナ禍にも似ていますよね。先の見えない答えのない未来に不安を感じるのはきっと人間の摂理なんだと思います。)


そんな不安を抱えながら迎えた5×20の公演。

あんな残酷な宣言をした5人とは思えないほど、いつも通りの「嵐」を見せてくれました。

そして、5×20の「過ぎゆく時の中で無駄なものはなかった」と言う歌詞を聞いた瞬間。

最後の挨拶に、「必ず戻ってきます」と言ってくれたあの瞬間。

ずっとモヤモヤしていて、今までとは違う気持ちで心の底から楽しめていなかった期間をなかったことにしてくれたような、そんな気持ちになりました。涙が止まりませんでした。

初めて本人たちの口から、「嵐としてまた再集結する、そのための活動休止」と言う言葉を聞くことができたときに、それがいつであっても、待ち続けられるなと思いました。

だから、周りが言う「ラストイヤー」とか「最後」という言葉に敏感にならずに、「5人でまた集まる」というその言葉だけを信じて今日まで乗り切ることができました。(でも、VS嵐と嵐にしやがれの最終回は見るのが本当に辛かった。「最後」という現実を突きつけられて、本当に活動休止しちゃうんだと実感させられて、レギュラー番組にあの5人を見るのがしばらくできないんだと思うと本当に本当に辛かったです。)


5×20で「再集結宣言」を聞いたその公演以降は、いつもと同じく心の底から楽しんで、泣き虫に発狂し(恒例)、涙して、と、いつも通りをようやく取り戻せました。

そして、やっぱり嫌いになんかなれない、ずっとずっと大好きだなと痛感しました。(これだからやめられない)


・わたしの考える嵐

わたしにとって「生きる目標」と「元気」をくれた5人。

わたしからすれば本当に言葉通りのidol(崇拝対象)でした。この言葉を使ってしまえば、重くなってしまうし、宗教的に聞こえてしまうかもしれないけれど、アイドルってそういうものなのかな、と自己解釈しています。

みんなにとっても、個人にとっても、元気をくれて心の拠り所となる存在。それがアイドルで、応援する側はそれを求めて応援する部分もあると思います。


「人間は目標があると生き甲斐ができる」みたいなよくあるポジティブ理論。

わたしもそう思います。何かやりたいことがあって、やりたいこと、なりたいものに向かってがむしゃらに頑張ることは人生における励みになると思っています。

個人的に、こんな風に目標を持つことについてポジティブに書いていても、このニュアンスをポジティブに伝えているつもりはなくて。

夢を持った方が楽しいとみんなが思うべきだ、みたいに伝えたいわけではありません。

ただ、わたしにとって、人生の励みになるような1つの道標を与えてくれたのは嵐でした。


たった一回のテレビ放送がきっかけで、夢ができて追いかけることになって。

もちろん、英語を勉強していく中で周りとの差に苦しんだり、海外生活を送っているときは仕事が辛くて辛くて、何のために英語を続けてきたのかわからなくなる時もありました。

でも、あの5人が見せてくれた道標を見つけなければ、こういう経験もできなかったんだな、と思うと、追いかけてきたことに後悔なんてしませんでした。

嵐がいなかったら、もっと平凡でつまらない人生に飽き飽きしてしまっていたと思うから。


きっと、あの5人が与えてきたものは、多くの人の小さなきっかけになって、希望になって、夢になっているんだろうなと思います。

おそらく多くのファンが同じように嵐から夢をもらい、希望をもらい、頑張る目標をもらってきたと思います。わたしもその1人に過ぎません。


そう考えると、5人がずっと愛される理由、アイドルとして支持される理由が少し見えてくると思います。

「世界中に嵐を巻き起こしたい」

Topになるって夢絶対叶えようね」

そう言った5人の意思の裏には、わたしが追い求めたものと同じものを感じます。

逆に言えば、わたしが彼らに同じものを感じたからこそ、共感してついて行きたいと思いました。

5人がひたむきに同じ目標に向かって走っていく、Beautiful DaysSTでも話していた「どんな道であれ目指す方向が同じならいい」、そんな姿勢に惹かれたからこそずっとここまでファンでいられているんだと思います。


どんどん人気が上がっていって、国立ライブを毎年やっていたり、最新技術を駆使したライブパフォーマンスを見せてくれたり、SNS解禁して世界に飛び出していったり。

ここ数年の嵐は今までの嵐とは違う姿で、少し遠くに行ってしまったなあ、と寂しい気持ちになることもあります。

でも掲げた目標は変わらず、ファンに対する態度も変わらず、ずっとずっと嵐でいてくれるあの5人だからこそ応援できたのだと思います。

嵐の5人は「このメンバーじゃなきゃここまで続けられなかった。」とよく言います。

わたしも、そう思っています。

5人があの5人じゃなきゃ、わたしも嵐ファンを続けられていないと思います。


そんな5人が掲げた目標はまだ達成されていません。

達成するために、また道を探し出すための時間が今回の活動休止なんだと思っています。

だから、全然「最後」なんかじゃない。

「まだ夢の道中」

「まだまだ世界は終わらない」

「まだ見ぬ世界」を見せてくれるための準備期間。

(これだけ様々な楽曲の歌詞に意思をちりばめてきたと感じるほど、嵐の曲には力がこもっていますよね)


そして、帰ってきて数年した後にこの期間を思い返して「あの時活動休止したからこれだけ素晴らしい思い出が作れる」と思いたいです。

そう思わせてくれるのが嵐だって信じてるよ。

なので、笑顔で「おかえり」と言えるように、待つのみです。

本当に今までありがとう。そしてこれからも。

ずっとずっと応援していきます。

らもさんの嵐語り


20201231日を迎えて思うこと。

5人との出会いや、今まで思ってきたこと、振り返りたいことなどを支離滅裂ながらに書き込んでみることにしました。(とっても長くなりました)


お暇な時に読んでくだされば幸いです。



・このアカウントについて

この「らも」という名前でTwitterを始めて実に6(そんなに経っていたのかとびっくり)

でもわたしをフォローしてくれている人はこのアカウントができる前から仲良くしてくれている人ばかりで、きっと「真希雅紀」というイタい(字面は尊い)名前で活動していたわたしを知っている人がほとんどでしょう(笑)

若さに興じて、様々なことを経験し、そして疲労し、結局は顔も年齢もあまり明かすことなく鍵をつけてひっそりと過ごすことが自分に合っていたと気がつかせてくれたのが、この「らも」というアカウントです。

(実は「らも」は本名に入っている音の組み合わせです)



・わたしが嵐を好きになったきっかけについて

そんなアカウントで好きなだけ、嵐のこと、相葉雅紀のこと、泣き虫のことを語り尽くし、萌えに発狂し、最近ではアニメやら声優やらYouTube配信やらにも手を出し日々うるさく楽しく過ごしてきました。


でも、常にわたしの中心にあるヲタクの熱情たる対象は嵐しかありませんでした。今でもそうです。

なぜ、こんなにも愛を、熱を捧げられるのか。

それは、わたしに生きる夢を与えてくれたのがあの5人だったからです。

生きる夢と言うと少し重めに聞こえるかもしれませんが、具体的に言えば、「人生における目標や夢を持たせてくれた」のが嵐だったのです。


2008年のことです。TBS系列で「ひみつの嵐ちゃん」の放送がスタートした時でした。

当時は、茶の間として、ごく普通にジャニーズで活動するアイドルグループの嵐と認識してテレビを見ていました。(多分メンバー5人の名前もしっかり覚えてないくらいの茶の間でした。)

覚えている人がどれくらいいらっしゃるのかわからないですが、当番組放送中に同時通訳の方を紹介するコーナーをやっていました。(花男Finalの潤ちゃんのセリフを同時通訳していた回です。覚えているかな、、)

その時のわたしは至って平凡。人よりできることは惰性で続けてきた英語だけ。でもその英語も本気でやっているつもりはなく、いつかはやめるのかな、と思っていました。

明確な将来の夢もなく、ただただ平凡に、生きていました。

でもその放送を見て、英語がこんなに活躍する場所があるのだと知り、「自分にもできることがあるのかもしれない」、「英語をもっと勉強して通訳になりたい」と1つの人生の目標を持つことができました。

そこからはひたすらに勉強、勉強、勉強(笑)。

気がつけば今を含めて12年間英語から離れず、飽きることなく続けてきていました。(嵐からも離れず、飽きることなくでしたが)


そしてこのことをきっかけに嵐に興味を持ち始め、

(今は険悪な仲の)いとこに誘われてFCに入りました。

番号はかなり遅めでしたが、今となってはもはや自分名義の番号を手放すことの方が惜しいくらいの番号となってしまいました(笑)


FCに入ってからは今までに発売されてきたCD、アルバム、DVDをかき集め、朝起きてから眠りにつくまで、眠りに入ってからもなお嵐の曲をひたすら聞きまくる日々がずーっと続きました。(でもファンになるってことはそういうことだと思います)

特に思い返すのは、家庭環境が悪くなった時、夜を過ごすのが辛くなった時、眠れなかった時、緑色のiPodに入れていた(当時)300曲以上の嵐の曲に救われてきました。

現実から逃げたい時、いつも5人の歌声や歌詞、楽曲のメロディーに何度も何度も救われて、頑張ろうと思わせてくれて、わたしがここまで真っ当に生きてこられたのは本当に嵐のおかげです。


そして気がつけば、約10年。

FCの更新は切らすことなくファンを続けてきました。

周りがどんなに担降りしてもG変しても、ずっとずっと

嵐に対する愛情は落ちることなく、ここまで来ました。

嵐が人気になり、FC会員数も爆発的に増加していく中、チケット競争率もあがり、日本一入るのが難しいと言われるほど人気になった5人のコンサートに毎年入るのがもはや自分の中での恒例行事になっていきました(笑)

毎年コンサートやイベントの案内が来た瞬間に考える会場と日程、名義配分。

それすらも愛おしく楽しい時間でした。

地方に住んでいるフォロワーさんと会うために遠征して、毎回楽しい思い出をつくらせてもらって。ほぼ観光をしたことがない地域もあったりして(笑)

そういう一つ一つの現場がかけがえのないもので。


毎回毎回会いに行けば、ステージ上で汗にまみれながら踊って歌うキラキラした姿が、MC中に垣間見える嵐らしさが、目に焼き付いて、「出会えてよかった」「嵐のファンになれてよかった」と思わせてくれて。

ファンはいつも嵐のことを考えているけれど、嵐も同じくらいファンのことを考えて、ファンのためにできることに最善を尽くしてくれているのが痛いほど伝わって。

人気になっても奢らず、「嵐らしく」「5人らしく」を貫く姿勢がいつまでもかっこよくて。(しかもそれがファンに向けて強制的に表していたものではなく、自ら望んでいたものだったと分かるのが余計に好きなところ)

そんな5人だから大好きでファンをここまで続けてこられたんだなと思います。


2019127日〜現在まで

ずっとずっと、この幸せが続くと思っていたのが、一昨年の127日まで。

あの日は、仕事も休みでメールが来て、字面だけでとても嫌な予感がしました。

ただの無機質な文字の羅列なのに、嫌な予感は感じ取れるのはジャニヲタならではなのかもしれません。

そして、動画ページに進み、視聴し、涙が止まりませんでした。

「どうして」「なんで」

そんな言葉しか出てきませんでした。

しかも、一旦活動を休止したい、と思うメンバーがいたことが何より受け止められなかった。

一方的にファンから見れば、不満なんて何1つなく嵐でいられることに幸せを感じているんだと思い込んでいたことを知らされました。


数日後、あまりのショックに食欲が失せ、免疫が下がり、当時流行していたインフルエンザに罹り(笑)

当時の職場の方や友人からはとても心配をかけてしまいました(笑)(一般的に見れば、嵐が活動休止したと言ったくらいで体調崩してインフルエンザに罹るって相当だなと思われていたと思います)

気がつけば体重が13キロも落ちてしまい、今も落ちたまま戻っていません。(まあ以前が太り過ぎていただけなので標準に戻ったんだなとも思いますが)


そして、ここで初めて5人を見るのも、声を聞くのも、音楽に触れるのも、辛くなってしまって。

嵐を完全に拒絶する日が約2ヶ月ほど続きました。

こんなに嵐から離れるのは初めてでした。

(ある意味、声優にハマり出したのはここの期間がスタートでもありました)

3月頃、5×20の当落発表がありました。

正直、あの発表の翌日から5×20の申し込みが始まって、あれだけ楽しかった名義配分も全く楽しくなく、処刑台に自ら向かって行くような気持ちで応募したのを覚えています。

でも、各地の公演が当選してくれて、会いに行けるチャンスが何度もできた時に、ようやく向き合う心の準備ができ始めました。


わたしのファンとしてのスタンスは、我が儘にならないこと。

「〇〇やって!」

「〇〇して欲しいのにやってくれなくてムカつく」

そういう自己満足をぶつける人たちと出会ったことがあり、その価値観には賛同できませんでした。

だから、

5人で決めたことは頑張って応援したい」

5人が幸せであってほしい」

と、自分自身の我が儘より、5人の幸せを優先することが何よりだと思っていました。

だけど、全てが全て賛成できるわけじゃないんだと気がつき、自分が受け入れられることと受け入れられないことのバランスを考えるようになりました。

「嵐が決めたことだから」活動休止を受け入れるのではなく、「嵐が嵐らしくいるために、幸せでいるために」活動休止を決断した、ということであれば受け入れられるかもしれないと思うようになりました。

反対に、嵐が「20201231日」まで全力で走り切る、その先は決まっていない、という姿勢は今でも受け入れられることができません。

きっとそれは戻ってくる確約が見えない不安から来ているんだと思います。戻ってくると言う絶対的な保証があって宣言する活動休止だったら、もう少し早く受け入れられたのではないかなと思います。

(余談ですが、この感じは今のコロナ禍にも似ていますよね。先の見えない答えのない未来に不安を感じるのはきっと人間の摂理なんだと思います。)


そんな不安を抱えながら迎えた5×20の公演。

あんな残酷な宣言をした5人とは思えないほど、いつも通りの「嵐」を見せてくれました。

そして、5×20の「過ぎゆく時の中で無駄なものはなかった」と言う歌詞を聞いた瞬間。

最後の挨拶に、「必ず戻ってきます」と言ってくれたあの瞬間。

ずっとモヤモヤしていて、今までとは違う気持ちで心の底から楽しめていなかった期間をなかったことにしてくれたような、そんな気持ちになりました。涙が止まりませんでした。

初めて本人たちの口から、「嵐としてまた再集結する、そのための活動休止」と言う言葉を聞くことができたときに、それがいつであっても、待ち続けられるなと思いました。

だから、周りが言う「ラストイヤー」とか「最後」という言葉に敏感にならずに、「5人でまた集まる」というその言葉だけを信じて今日まで乗り切ることができました。(でも、VS嵐と嵐にしやがれの最終回は見るのが本当に辛かった。「最後」という現実を突きつけられて、本当に活動休止しちゃうんだと実感させられて、レギュラー番組にあの5人を見るのがしばらくできないんだと思うと本当に本当に辛かったです。)


5×20で「再集結宣言」を聞いたその公演以降は、いつもと同じく心の底から楽しんで、泣き虫に発狂し(恒例)、涙して、と、いつも通りをようやく取り戻せました。

そして、やっぱり嫌いになんかなれない、ずっとずっと大好きだなと痛感しました。(これだからやめられない)


・わたしの考える嵐

わたしにとって「生きる目標」と「元気」をくれた5人。

わたしからすれば本当に言葉通りのidol(崇拝対象)でした。この言葉を使ってしまえば、重くなってしまうし、宗教的に聞こえてしまうかもしれないけれど、アイドルってそういうものなのかな、と自己解釈しています。

みんなにとっても、個人にとっても、元気をくれて心の拠り所となる存在。それがアイドルで、応援する側はそれを求めて応援する部分もあると思います。


「人間は目標があると生き甲斐ができる」みたいなよくあるポジティブ理論。

わたしもそう思います。何かやりたいことがあって、やりたいこと、なりたいものに向かってがむしゃらに頑張ることは人生における励みになると思っています。

個人的に、こんな風に目標を持つことについてポジティブに書いていても、このニュアンスをポジティブに伝えているつもりはなくて。

夢を持った方が楽しいとみんなが思うべきだ、みたいに伝えたいわけではありません。

ただ、わたしにとって、人生の励みになるような1つの道標を与えてくれたのは嵐でした。


たった一回のテレビ放送がきっかけで、夢ができて追いかけることになって。

もちろん、英語を勉強していく中で周りとの差に苦しんだり、海外生活を送っているときは仕事が辛くて辛くて、何のために英語を続けてきたのかわからなくなる時もありました。

でも、あの5人が見せてくれた道標を見つけなければ、こういう経験もできなかったんだな、と思うと、追いかけてきたことに後悔なんてしませんでした。

嵐がいなかったら、もっと平凡でつまらない人生に飽き飽きしてしまっていたと思うから。


きっと、あの5人が与えてきたものは、多くの人の小さなきっかけになって、希望になって、夢になっているんだろうなと思います。

おそらく多くのファンが同じように嵐から夢をもらい、希望をもらい、頑張る目標をもらってきたと思います。わたしもその1人に過ぎません。


そう考えると、5人がずっと愛される理由、アイドルとして支持される理由が少し見えてくると思います。

「世界中に嵐を巻き起こしたい」

Topになるって夢絶対叶えようね」

そう言った5人の意思の裏には、わたしが追い求めたものと同じものを感じます。

逆に言えば、わたしが彼らに同じものを感じたからこそ、共感してついて行きたいと思いました。

5人がひたむきに同じ目標に向かって走っていく、Beautiful DaysSTでも話していた「どんな道であれ目指す方向が同じならいい」、そんな姿勢に惹かれたからこそずっとここまでファンでいられているんだと思います。


どんどん人気が上がっていって、国立ライブを毎年やっていたり、最新技術を駆使したライブパフォーマンスを見せてくれたり、SNS解禁して世界に飛び出していったり。

ここ数年の嵐は今までの嵐とは違う姿で、少し遠くに行ってしまったなあ、と寂しい気持ちになることもあります。

でも掲げた目標は変わらず、ファンに対する態度も変わらず、ずっとずっと嵐でいてくれるあの5人だからこそ応援できたのだと思います。

嵐の5人は「このメンバーじゃなきゃここまで続けられなかった。」とよく言います。

わたしも、そう思っています。

5人があの5人じゃなきゃ、わたしも嵐ファンを続けられていないと思います。


そんな5人が掲げた目標はまだ達成されていません。

達成するために、また道を探し出すための時間が今回の活動休止なんだと思っています。

だから、全然「最後」なんかじゃない。

「まだ夢の道中」

「まだまだ世界は終わらない」

「まだ見ぬ世界」を見せてくれるための準備期間。

(これだけ様々な楽曲の歌詞に意思をちりばめてきたと感じるほど、嵐の曲には力がこもっていますよね)


そして、帰ってきて数年した後にこの期間を思い返して「あの時活動休止したからこれだけ素晴らしい思い出が作れる」と思いたいです。

そう思わせてくれるのが嵐だって信じてるよ。

なので、笑顔で「おかえり」と言えるように、待つのみです。

本当に今までありがとう。そしてこれからも。

ずっとずっと応援していきます。

らもさんの嵐語り


20201231日を迎えて思うこと。

5人との出会いや、今まで思ってきたこと、振り返りたいことなどを支離滅裂ながらに書き込んでみることにしました。(とっても長くなりました)


お暇な時に読んでくだされば幸いです。



・このアカウントについて

この「らも」という名前でTwitterを始めて実に6(そんなに経っていたのかとびっくり)

でもわたしをフォローしてくれている人はこのアカウントができる前から仲良くしてくれている人ばかりで、きっと「真希雅紀」というイタい(字面は尊い)名前で活動していたわたしを知っている人がほとんどでしょう(笑)

若さに興じて、様々なことを経験し、そして疲労し、結局は顔も年齢もあまり明かすことなく鍵をつけてひっそりと過ごすことが自分に合っていたと気がつかせてくれたのが、この「らも」というアカウントです。

(実は「らも」は本名に入っている音の組み合わせです)



・わたしが嵐を好きになったきっかけについて

そんなアカウントで好きなだけ、嵐のこと、相葉雅紀のこと、泣き虫のことを語り尽くし、萌えに発狂し、最近ではアニメやら声優やらYouTube配信やらにも手を出し日々うるさく楽しく過ごしてきました。


でも、常にわたしの中心にあるヲタクの熱情たる対象は嵐しかありませんでした。今でもそうです。

なぜ、こんなにも愛を、熱を捧げられるのか。

それは、わたしに生きる夢を与えてくれたのがあの5人だったからです。

生きる夢と言うと少し重めに聞こえるかもしれませんが、具体的に言えば、「人生における目標や夢を持たせてくれた」のが嵐だったのです。


2008年のことです。TBS系列で「ひみつの嵐ちゃん」の放送がスタートした時でした。

当時は、茶の間として、ごく普通にジャニーズで活動するアイドルグループの嵐と認識してテレビを見ていました。(多分メンバー5人の名前もしっかり覚えてないくらいの茶の間でした。)

覚えている人がどれくらいいらっしゃるのかわからないですが、当番組放送中に同時通訳の方を紹介するコーナーをやっていました。(花男Finalの潤ちゃんのセリフを同時通訳していた回です。覚えているかな、、)

その時のわたしは至って平凡。人よりできることは惰性で続けてきた英語だけ。でもその英語も本気でやっているつもりはなく、いつかはやめるのかな、と思っていました。

明確な将来の夢もなく、ただただ平凡に、生きていました。

でもその放送を見て、英語がこんなに活躍する場所があるのだと知り、「自分にもできることがあるのかもしれない」、「英語をもっと勉強して通訳になりたい」と1つの人生の目標を持つことができました。

そこからはひたすらに勉強、勉強、勉強(笑)。

気がつけば今を含めて12年間英語から離れず、飽きることなく続けてきていました。(嵐からも離れず、飽きることなくでしたが)


そしてこのことをきっかけに嵐に興味を持ち始め、

(今は険悪な仲の)いとこに誘われてFCに入りました。

番号はかなり遅めでしたが、今となってはもはや自分名義の番号を手放すことの方が惜しいくらいの番号となってしまいました(笑)


FCに入ってからは今までに発売されてきたCD、アルバム、DVDをかき集め、朝起きてから眠りにつくまで、眠りに入ってからもなお嵐の曲をひたすら聞きまくる日々がずーっと続きました。(でもファンになるってことはそういうことだと思います)

特に思い返すのは、家庭環境が悪くなった時、夜を過ごすのが辛くなった時、眠れなかった時、緑色のiPodに入れていた(当時)300曲以上の嵐の曲に救われてきました。

現実から逃げたい時、いつも5人の歌声や歌詞、楽曲のメロディーに何度も何度も救われて、頑張ろうと思わせてくれて、わたしがここまで真っ当に生きてこられたのは本当に嵐のおかげです。


そして気がつけば、約10年。

FCの更新は切らすことなくファンを続けてきました。

周りがどんなに担降りしてもG変しても、ずっとずっと

嵐に対する愛情は落ちることなく、ここまで来ました。

嵐が人気になり、FC会員数も爆発的に増加していく中、チケット競争率もあがり、日本一入るのが難しいと言われるほど人気になった5人のコンサートに毎年入るのがもはや自分の中での恒例行事になっていきました(笑)

毎年コンサートやイベントの案内が来た瞬間に考える会場と日程、名義配分。

それすらも愛おしく楽しい時間でした。

地方に住んでいるフォロワーさんと会うために遠征して、毎回楽しい思い出をつくらせてもらって。ほぼ観光をしたことがない地域もあったりして(笑)

そういう一つ一つの現場がかけがえのないもので。


毎回毎回会いに行けば、ステージ上で汗にまみれながら踊って歌うキラキラした姿が、MC中に垣間見える嵐らしさが、目に焼き付いて、「出会えてよかった」「嵐のファンになれてよかった」と思わせてくれて。

ファンはいつも嵐のことを考えているけれど、嵐も同じくらいファンのことを考えて、ファンのためにできることに最善を尽くしてくれているのが痛いほど伝わって。

人気になっても奢らず、「嵐らしく」「5人らしく」を貫く姿勢がいつまでもかっこよくて。(しかもそれがファンに向けて強制的に表していたものではなく、自ら望んでいたものだったと分かるのが余計に好きなところ)

そんな5人だから大好きでファンをここまで続けてこられたんだなと思います。


2019127日〜現在まで

ずっとずっと、この幸せが続くと思っていたのが、一昨年の127日まで。

あの日は、仕事も休みでメールが来て、字面だけでとても嫌な予感がしました。

ただの無機質な文字の羅列なのに、嫌な予感は感じ取れるのはジャニヲタならではなのかもしれません。

そして、動画ページに進み、視聴し、涙が止まりませんでした。

「どうして」「なんで」

そんな言葉しか出てきませんでした。

しかも、一旦活動を休止したい、と思うメンバーがいたことが何より受け止められなかった。

一方的にファンから見れば、不満なんて何1つなく嵐でいられることに幸せを感じているんだと思い込んでいたことを知らされました。


数日後、あまりのショックに食欲が失せ、免疫が下がり、当時流行していたインフルエンザに罹り(笑)

当時の職場の方や友人からはとても心配をかけてしまいました(笑)(一般的に見れば、嵐が活動休止したと言ったくらいで体調崩してインフルエンザに罹るって相当だなと思われていたと思います)

気がつけば体重が13キロも落ちてしまい、今も落ちたまま戻っていません。(まあ以前が太り過ぎていただけなので標準に戻ったんだなとも思いますが)


そして、ここで初めて5人を見るのも、声を聞くのも、音楽に触れるのも、辛くなってしまって。

嵐を完全に拒絶する日が約2ヶ月ほど続きました。

こんなに嵐から離れるのは初めてでした。

(ある意味、声優にハマり出したのはここの期間がスタートでもありました)

3月頃、5×20の当落発表がありました。

正直、あの発表の翌日から5×20の申し込みが始まって、あれだけ楽しかった名義配分も全く楽しくなく、処刑台に自ら向かって行くような気持ちで応募したのを覚えています。

でも、各地の公演が当選してくれて、会いに行けるチャンスが何度もできた時に、ようやく向き合う心の準備ができ始めました。


わたしのファンとしてのスタンスは、我が儘にならないこと。

「〇〇やって!」

「〇〇して欲しいのにやってくれなくてムカつく」

そういう自己満足をぶつける人たちと出会ったことがあり、その価値観には賛同できませんでした。

だから、

5人で決めたことは頑張って応援したい」

5人が幸せであってほしい」

と、自分自身の我が儘より、5人の幸せを優先することが何よりだと思っていました。

だけど、全てが全て賛成できるわけじゃないんだと気がつき、自分が受け入れられることと受け入れられないことのバランスを考えるようになりました。

「嵐が決めたことだから」活動休止を受け入れるのではなく、「嵐が嵐らしくいるために、幸せでいるために」活動休止を決断した、ということであれば受け入れられるかもしれないと思うようになりました。

反対に、嵐が「20201231日」まで全力で走り切る、その先は決まっていない、という姿勢は今でも受け入れられることができません。

きっとそれは戻ってくる確約が見えない不安から来ているんだと思います。戻ってくると言う絶対的な保証があって宣言する活動休止だったら、もう少し早く受け入れられたのではないかなと思います。

(余談ですが、この感じは今のコロナ禍にも似ていますよね。先の見えない答えのない未来に不安を感じるのはきっと人間の摂理なんだと思います。)


そんな不安を抱えながら迎えた5×20の公演。

あんな残酷な宣言をした5人とは思えないほど、いつも通りの「嵐」を見せてくれました。

そして、5×20の「過ぎゆく時の中で無駄なものはなかった」と言う歌詞を聞いた瞬間。

最後の挨拶に、「必ず戻ってきます」と言ってくれたあの瞬間。

ずっとモヤモヤしていて、今までとは違う気持ちで心の底から楽しめていなかった期間をなかったことにしてくれたような、そんな気持ちになりました。涙が止まりませんでした。

初めて本人たちの口から、「嵐としてまた再集結する、そのための活動休止」と言う言葉を聞くことができたときに、それがいつであっても、待ち続けられるなと思いました。

だから、周りが言う「ラストイヤー」とか「最後」という言葉に敏感にならずに、「5人でまた集まる」というその言葉だけを信じて今日まで乗り切ることができました。(でも、VS嵐と嵐にしやがれの最終回は見るのが本当に辛かった。「最後」という現実を突きつけられて、本当に活動休止しちゃうんだと実感させられて、レギュラー番組にあの5人を見るのがしばらくできないんだと思うと本当に本当に辛かったです。)


5×20で「再集結宣言」を聞いたその公演以降は、いつもと同じく心の底から楽しんで、泣き虫に発狂し(恒例)、涙して、と、いつも通りをようやく取り戻せました。

そして、やっぱり嫌いになんかなれない、ずっとずっと大好きだなと痛感しました。(これだからやめられない)


・わたしの考える嵐

わたしにとって「生きる目標」と「元気」をくれた5人。

わたしからすれば本当に言葉通りのidol(崇拝対象)でした。この言葉を使ってしまえば、重くなってしまうし、宗教的に聞こえてしまうかもしれないけれど、アイドルってそういうものなのかな、と自己解釈しています。

みんなにとっても、個人にとっても、元気をくれて心の拠り所となる存在。それがアイドルで、応援する側はそれを求めて応援する部分もあると思います。


「人間は目標があると生き甲斐ができる」みたいなよくあるポジティブ理論。

わたしもそう思います。何かやりたいことがあって、やりたいこと、なりたいものに向かってがむしゃらに頑張ることは人生における励みになると思っています。

個人的に、こんな風に目標を持つことについてポジティブに書いていても、このニュアンスをポジティブに伝えているつもりはなくて。

夢を持った方が楽しいとみんなが思うべきだ、みたいに伝えたいわけではありません。

ただ、わたしにとって、人生の励みになるような1つの道標を与えてくれたのは嵐でした。


たった一回のテレビ放送がきっかけで、夢ができて追いかけることになって。

もちろん、英語を勉強していく中で周りとの差に苦しんだり、海外生活を送っているときは仕事が辛くて辛くて、何のために英語を続けてきたのかわからなくなる時もありました。

でも、あの5人が見せてくれた道標を見つけなければ、こういう経験もできなかったんだな、と思うと、追いかけてきたことに後悔なんてしませんでした。

嵐がいなかったら、もっと平凡でつまらない人生に飽き飽きしてしまっていたと思うから。


きっと、あの5人が与えてきたものは、多くの人の小さなきっかけになって、希望になって、夢になっているんだろうなと思います。

おそらく多くのファンが同じように嵐から夢をもらい、希望をもらい、頑張る目標をもらってきたと思います。わたしもその1人に過ぎません。


そう考えると、5人がずっと愛される理由、アイドルとして支持される理由が少し見えてくると思います。

「世界中に嵐を巻き起こしたい」

Topになるって夢絶対叶えようね」

そう言った5人の意思の裏には、わたしが追い求めたものと同じものを感じます。

逆に言えば、わたしが彼らに同じものを感じたからこそ、共感してついて行きたいと思いました。

5人がひたむきに同じ目標に向かって走っていく、Beautiful DaysSTでも話していた「どんな道であれ目指す方向が同じならいい」、そんな姿勢に惹かれたからこそずっとここまでファンでいられているんだと思います。


どんどん人気が上がっていって、国立ライブを毎年やっていたり、最新技術を駆使したライブパフォーマンスを見せてくれたり、SNS解禁して世界に飛び出していったり。

ここ数年の嵐は今までの嵐とは違う姿で、少し遠くに行ってしまったなあ、と寂しい気持ちになることもあります。

でも掲げた目標は変わらず、ファンに対する態度も変わらず、ずっとずっと嵐でいてくれるあの5人だからこそ応援できたのだと思います。

嵐の5人は「このメンバーじゃなきゃここまで続けられなかった。」とよく言います。

わたしも、そう思っています。

5人があの5人じゃなきゃ、わたしも嵐ファンを続けられていないと思います。


そんな5人が掲げた目標はまだ達成されていません。

達成するために、また道を探し出すための時間が今回の活動休止なんだと思っています。

だから、全然「最後」なんかじゃない。

「まだ夢の道中」

「まだまだ世界は終わらない」

「まだ見ぬ世界」を見せてくれるための準備期間。

(これだけ様々な楽曲の歌詞に意思をちりばめてきたと感じるほど、嵐の曲には力がこもっていますよね)


そして、帰ってきて数年した後にこの期間を思い返して「あの時活動休止したからこれだけ素晴らしい思い出が作れる」と思いたいです。

そう思わせてくれるのが嵐だって信じてるよ。

なので、笑顔で「おかえり」と言えるように、待つのみです。

本当に今までありがとう。そしてこれからも。

ずっとずっと応援していきます。

らもさんの嵐語り


20201231日を迎えて思うこと。

5人との出会いや、今まで思ってきたこと、振り返りたいことなどを支離滅裂ながらに書き込んでみることにしました。(とっても長くなりました)


お暇な時に読んでくだされば幸いです。



・このアカウントについて

この「らも」という名前でTwitterを始めて実に6(そんなに経っていたのかとびっくり)

でもわたしをフォローしてくれている人はこのアカウントができる前から仲良くしてくれている人ばかりで、きっと「真希雅紀」というイタい(字面は尊い)名前で活動していたわたしを知っている人がほとんどでしょう(笑)

若さに興じて、様々なことを経験し、そして疲労し、結局は顔も年齢もあまり明かすことなく鍵をつけてひっそりと過ごすことが自分に合っていたと気がつかせてくれたのが、この「らも」というアカウントです。

(実は「らも」は本名に入っている音の組み合わせです)



・わたしが嵐を好きになったきっかけについて

そんなアカウントで好きなだけ、嵐のこと、相葉雅紀のこと、泣き虫のことを語り尽くし、萌えに発狂し、最近ではアニメやら声優やらYouTube配信やらにも手を出し日々うるさく楽しく過ごしてきました。


でも、常にわたしの中心にあるヲタクの熱情たる対象は嵐しかありませんでした。今でもそうです。

なぜ、こんなにも愛を、熱を捧げられるのか。

それは、わたしに生きる夢を与えてくれたのがあの5人だったからです。

生きる夢と言うと少し重めに聞こえるかもしれませんが、具体的に言えば、「人生における目標や夢を持たせてくれた」のが嵐だったのです。


2008年のことです。TBS系列で「ひみつの嵐ちゃん」の放送がスタートした時でした。

当時は、茶の間として、ごく普通にジャニーズで活動するアイドルグループの嵐と認識してテレビを見ていました。(多分メンバー5人の名前もしっかり覚えてないくらいの茶の間でした。)

覚えている人がどれくらいいらっしゃるのかわからないですが、当番組放送中に同時通訳の方を紹介するコーナーをやっていました。(花男Finalの潤ちゃんのセリフを同時通訳していた回です。覚えているかな、、)

その時のわたしは至って平凡。人よりできることは惰性で続けてきた英語だけ。でもその英語も本気でやっているつもりはなく、いつかはやめるのかな、と思っていました。

明確な将来の夢もなく、ただただ平凡に、生きていました。

でもその放送を見て、英語がこんなに活躍する場所があるのだと知り、「自分にもできることがあるのかもしれない」、「英語をもっと勉強して通訳になりたい」と1つの人生の目標を持つことができました。

そこからはひたすらに勉強、勉強、勉強(笑)。

気がつけば今を含めて12年間英語から離れず、飽きることなく続けてきていました。(嵐からも離れず、飽きることなくでしたが)


そしてこのことをきっかけに嵐に興味を持ち始め、

(今は険悪な仲の)いとこに誘われてFCに入りました。

番号はかなり遅めでしたが、今となってはもはや自分名義の番号を手放すことの方が惜しいくらいの番号となってしまいました(笑)


FCに入ってからは今までに発売されてきたCD、アルバム、DVDをかき集め、朝起きてから眠りにつくまで、眠りに入ってからもなお嵐の曲をひたすら聞きまくる日々がずーっと続きました。(でもファンになるってことはそういうことだと思います)

特に思い返すのは、家庭環境が悪くなった時、夜を過ごすのが辛くなった時、眠れなかった時、緑色のiPodに入れていた(当時)300曲以上の嵐の曲に救われてきました。

現実から逃げたい時、いつも5人の歌声や歌詞、楽曲のメロディーに何度も何度も救われて、頑張ろうと思わせてくれて、わたしがここまで真っ当に生きてこられたのは本当に嵐のおかげです。


そして気がつけば、約10年。

FCの更新は切らすことなくファンを続けてきました。

周りがどんなに担降りしてもG変しても、ずっとずっと

嵐に対する愛情は落ちることなく、ここまで来ました。

嵐が人気になり、FC会員数も爆発的に増加していく中、チケット競争率もあがり、日本一入るのが難しいと言われるほど人気になった5人のコンサートに毎年入るのがもはや自分の中での恒例行事になっていきました(笑)

毎年コンサートやイベントの案内が来た瞬間に考える会場と日程、名義配分。

それすらも愛おしく楽しい時間でした。

地方に住んでいるフォロワーさんと会うために遠征して、毎回楽しい思い出をつくらせてもらって。ほぼ観光をしたことがない地域もあったりして(笑)

そういう一つ一つの現場がかけがえのないもので。


毎回毎回会いに行けば、ステージ上で汗にまみれながら踊って歌うキラキラした姿が、MC中に垣間見える嵐らしさが、目に焼き付いて、「出会えてよかった」「嵐のファンになれてよかった」と思わせてくれて。

ファンはいつも嵐のことを考えているけれど、嵐も同じくらいファンのことを考えて、ファンのためにできることに最善を尽くしてくれているのが痛いほど伝わって。

人気になっても奢らず、「嵐らしく」「5人らしく」を貫く姿勢がいつまでもかっこよくて。(しかもそれがファンに向けて強制的に表していたものではなく、自ら望んでいたものだったと分かるのが余計に好きなところ)

そんな5人だから大好きでファンをここまで続けてこられたんだなと思います。


2019127日〜現在まで

ずっとずっと、この幸せが続くと思っていたのが、一昨年の127日まで。

あの日は、仕事も休みでメールが来て、字面だけでとても嫌な予感がしました。

ただの無機質な文字の羅列なのに、嫌な予感は感じ取れるのはジャニヲタならではなのかもしれません。

そして、動画ページに進み、視聴し、涙が止まりませんでした。

「どうして」「なんで」

そんな言葉しか出てきませんでした。

しかも、一旦活動を休止したい、と思うメンバーがいたことが何より受け止められなかった。

一方的にファンから見れば、不満なんて何1つなく嵐でいられることに幸せを感じているんだと思い込んでいたことを知らされました。


数日後、あまりのショックに食欲が失せ、免疫が下がり、当時流行していたインフルエンザに罹り(笑)

当時の職場の方や友人からはとても心配をかけてしまいました(笑)(一般的に見れば、嵐が活動休止したと言ったくらいで体調崩してインフルエンザに罹るって相当だなと思われていたと思います)

気がつけば体重が13キロも落ちてしまい、今も落ちたまま戻っていません。(まあ以前が太り過ぎていただけなので標準に戻ったんだなとも思いますが)


そして、ここで初めて5人を見るのも、声を聞くのも、音楽に触れるのも、辛くなってしまって。

嵐を完全に拒絶する日が約2ヶ月ほど続きました。

こんなに嵐から離れるのは初めてでした。

(ある意味、声優にハマり出したのはここの期間がスタートでもありました)

3月頃、5×20の当落発表がありました。

正直、あの発表の翌日から5×20の申し込みが始まって、あれだけ楽しかった名義配分も全く楽しくなく、処刑台に自ら向かって行くような気持ちで応募したのを覚えています。

でも、各地の公演が当選してくれて、会いに行けるチャンスが何度もできた時に、ようやく向き合う心の準備ができ始めました。


わたしのファンとしてのスタンスは、我が儘にならないこと。

「〇〇やって!」

「〇〇して欲しいのにやってくれなくてムカつく」

そういう自己満足をぶつける人たちと出会ったことがあり、その価値観には賛同できませんでした。

だから、

5人で決めたことは頑張って応援したい」

5人が幸せであってほしい」

と、自分自身の我が儘より、5人の幸せを優先することが何よりだと思っていました。

だけど、全てが全て賛成できるわけじゃないんだと気がつき、自分が受け入れられることと受け入れられないことのバランスを考えるようになりました。

「嵐が決めたことだから」活動休止を受け入れるのではなく、「嵐が嵐らしくいるために、幸せでいるために」活動休止を決断した、ということであれば受け入れられるかもしれないと思うようになりました。

反対に、嵐が「20201231日」まで全力で走り切る、その先は決まっていない、という姿勢は今でも受け入れられることができません。

きっとそれは戻ってくる確約が見えない不安から来ているんだと思います。戻ってくると言う絶対的な保証があって宣言する活動休止だったら、もう少し早く受け入れられたのではないかなと思います。

(余談ですが、この感じは今のコロナ禍にも似ていますよね。先の見えない答えのない未来に不安を感じるのはきっと人間の摂理なんだと思います。)


そんな不安を抱えながら迎えた5×20の公演。

あんな残酷な宣言をした5人とは思えないほど、いつも通りの「嵐」を見せてくれました。

そして、5×20の「過ぎゆく時の中で無駄なものはなかった」と言う歌詞を聞いた瞬間。

最後の挨拶に、「必ず戻ってきます」と言ってくれたあの瞬間。

ずっとモヤモヤしていて、今までとは違う気持ちで心の底から楽しめていなかった期間をなかったことにしてくれたような、そんな気持ちになりました。涙が止まりませんでした。

初めて本人たちの口から、「嵐としてまた再集結する、そのための活動休止」と言う言葉を聞くことができたときに、それがいつであっても、待ち続けられるなと思いました。

だから、周りが言う「ラストイヤー」とか「最後」という言葉に敏感にならずに、「5人でまた集まる」というその言葉だけを信じて今日まで乗り切ることができました。(でも、VS嵐と嵐にしやがれの最終回は見るのが本当に辛かった。「最後」という現実を突きつけられて、本当に活動休止しちゃうんだと実感させられて、レギュラー番組にあの5人を見るのがしばらくできないんだと思うと本当に本当に辛かったです。)


5×20で「再集結宣言」を聞いたその公演以降は、いつもと同じく心の底から楽しんで、泣き虫に発狂し(恒例)、涙して、と、いつも通りをようやく取り戻せました。

そして、やっぱり嫌いになんかなれない、ずっとずっと大好きだなと痛感しました。(これだからやめられない)


・わたしの考える嵐

わたしにとって「生きる目標」と「元気」をくれた5人。

わたしからすれば本当に言葉通りのidol(崇拝対象)でした。この言葉を使ってしまえば、重くなってしまうし、宗教的に聞こえてしまうかもしれないけれど、アイドルってそういうものなのかな、と自己解釈しています。

みんなにとっても、個人にとっても、元気をくれて心の拠り所となる存在。それがアイドルで、応援する側はそれを求めて応援する部分もあると思います。


「人間は目標があると生き甲斐ができる」みたいなよくあるポジティブ理論。

わたしもそう思います。何かやりたいことがあって、やりたいこと、なりたいものに向かってがむしゃらに頑張ることは人生における励みになると思っています。

個人的に、こんな風に目標を持つことについてポジティブに書いていても、このニュアンスをポジティブに伝えているつもりはなくて。

夢を持った方が楽しいとみんなが思うべきだ、みたいに伝えたいわけではありません。

ただ、わたしにとって、人生の励みになるような1つの道標を与えてくれたのは嵐でした。


たった一回のテレビ放送がきっかけで、夢ができて追いかけることになって。

もちろん、英語を勉強していく中で周りとの差に苦しんだり、海外生活を送っているときは仕事が辛くて辛くて、何のために英語を続けてきたのかわからなくなる時もありました。

でも、あの5人が見せてくれた道標を見つけなければ、こういう経験もできなかったんだな、と思うと、追いかけてきたことに後悔なんてしませんでした。

嵐がいなかったら、もっと平凡でつまらない人生に飽き飽きしてしまっていたと思うから。


きっと、あの5人が与えてきたものは、多くの人の小さなきっかけになって、希望になって、夢になっているんだろうなと思います。

おそらく多くのファンが同じように嵐から夢をもらい、希望をもらい、頑張る目標をもらってきたと思います。わたしもその1人に過ぎません。


そう考えると、5人がずっと愛される理由、アイドルとして支持される理由が少し見えてくると思います。

「世界中に嵐を巻き起こしたい」

Topになるって夢絶対叶えようね」

そう言った5人の意思の裏には、わたしが追い求めたものと同じものを感じます。

逆に言えば、わたしが彼らに同じものを感じたからこそ、共感してついて行きたいと思いました。

5人がひたむきに同じ目標に向かって走っていく、Beautiful DaysSTでも話していた「どんな道であれ目指す方向が同じならいい」、そんな姿勢に惹かれたからこそずっとここまでファンでいられているんだと思います。


どんどん人気が上がっていって、国立ライブを毎年やっていたり、最新技術を駆使したライブパフォーマンスを見せてくれたり、SNS解禁して世界に飛び出していったり。

ここ数年の嵐は今までの嵐とは違う姿で、少し遠くに行ってしまったなあ、と寂しい気持ちになることもあります。

でも掲げた目標は変わらず、ファンに対する態度も変わらず、ずっとずっと嵐でいてくれるあの5人だからこそ応援できたのだと思います。

嵐の5人は「このメンバーじゃなきゃここまで続けられなかった。」とよく言います。

わたしも、そう思っています。

5人があの5人じゃなきゃ、わたしも嵐ファンを続けられていないと思います。


そんな5人が掲げた目標はまだ達成されていません。

達成するために、また道を探し出すための時間が今回の活動休止なんだと思っています。

だから、全然「最後」なんかじゃない。

「まだ夢の道中」

「まだまだ世界は終わらない」

「まだ見ぬ世界」を見せてくれるための準備期間。

(これだけ様々な楽曲の歌詞に意思をちりばめてきたと感じるほど、嵐の曲には力がこもっていますよね)


そして、帰ってきて数年した後にこの期間を思い返して「あの時活動休止したからこれだけ素晴らしい思い出が作れる」と思いたいです。

そう思わせてくれるのが嵐だって信じてるよ。

なので、笑顔で「おかえり」と言えるように、待つのみです。

本当に今までありがとう。そしてこれからも。

ずっとずっと応援していきます。